posted on 2013年9月16日月曜日

止まった時計




今回は、いつもの風でなく作者の独り言として書いてみます。


しばらくブログをサボっていましたが、またまた僕の中で時計が止まってしまっていました。

もともと今回のブログを始めたのも、アドセンスでもやってみて少しでも収入の足しになれば、という気持ちもあり、仕事も変えたのでうまく平行してやれればいいな、という感じでした。


ここから先は言い訳です。

アドセンスの審査通過が思った以上に時間がかかったり、その後も技術的な問題か何かで広告がなかなか表示されなかったり、仕事が思った以上に残業が増えたりストレスがかかったり、お盆休みにゲームを買ってそれに現実から逃げるようにのめり込んだり・・・


そうこうしているうちに、仕事でもミスや人間関係の行き場がなくなってきてしまい、何度目かの時間停止に陥ってしまいました。



こうして同じことを繰り返してしまうのに慣れてしまっている自分も恐ろしいのですが、毎度のごとく、「消えてなくなりたい」「死んでしまいたい」と思ってしまうものの、今でも生きています。


そしてこうしてブログを再開することも、何かしている風を装っているだけなのかもしれず、現実感が伴わずになんとなくな作業になっています。



こうしたことをここに書くことが、今後に何かよいのかどうなのかもわかりません。なんだかこんな暗いことを考えている人間が書いていると思うと、見てくれている数少ない方々にも失礼なのかもしれません。



ただ、これまでの自分は、できないくせになんでもちゃんとしていたい気持ちの強い傾向で、ちゃんとできないならいいや、と畳んでしまうことが多かったのですが、いい加減そんなことも言ってもられないし、もうそんなこともどうでもいいや、と思うようになってきたのかもしれません。



今回は病院には行きませんでしたが、うつだったり、パニック症候群だったり診断されたこともありました。実際には、社会不適合人間なのだと思います。臆病なばっかりで、社会に立ち向かうことも、社会を完全に絶つこともできず、その日の気分と状況で、最悪だったり、まぁこんな時代でも生きていくかと思えたり、何の筋も通っていない文字通りフラフラ人間です。

困難に立ち向かうこと、乗り越えることを学ばずにここまで来てしまったことは、今思うと本当に罪なことだと思います。確かに社会から見れば「害」の部類かもしれません。


そんな僕が社会に対してあれやこれや言っているのがこのブログなのだから、それこそ負け犬の遠吠えなんだろうな、と思う。あ、犬に対して失礼か。



別に、だからと言って「こんな人間でも生きてる証がネット上にはあるんだ!」とか言う気はさらさらありません。だって、いろんな人のいろんな言葉をネット上で見たけど、心に残ってることなんてほんのわずかだし。ただ、ほんの一瞬でも共感したり、共感までいかなくても暇つぶしになったと思えたら、垂れ流しただけの価値はあったのかもしれない、くらいでいいのかなと思います。みんなそれぞれの人生を生きているんだろうし、本当に悲観して死んでいってしまった人たちがいても、それを共有できることはこの先もおそらくないことだろうし。



垂れ流し。そう、垂れ流し。思ったことを垂れ流して、それが誰かの目を通り過ぎる。ただ、それだけなんだよね。



この記事を書いたことで僕の時計も動き出したのかな?まだ、止まっていた時間や止まる前の時間を振り返ることは怖くてできないけど、振り返ることが何かの足しになると思えるときにそうすればいいだけで、無理して振り返ることはない。


これからこの先、また何度も時計は止まるのかもしれないけど、壊れてないのならまた電池を入れ替えて動けばいいし、電池を入れ替えずにそのままほっぽってもいいし。今回は、現時点では渋々なのかもしれないけれど、電池を替えるきっかけがあったから動き出したに過ぎない。



はぁ、死ぬも生きるも大変だ。でも死ぬほうがよっぽど大変だからみんな生きているのかなぁ。



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